「些細なこと」が誰かの「感動」に
自分が行った、ほんの些細なことが、誰かにとってとても大きな意味を持つことがある。
月に1度、期間1年ほどの継続講座を運営している事務局の方のお話。
9月に最終回を迎えるにあたり、講座参加者で寄せ書きした色紙を、サプライズで講師に渡したいと目論んでいた。
でも現地で色紙を回すと、講師にバレてしまう…。
「事前に何か準備を進めますのでご協力をお願いします」とその事務局の方が言っているのを聞いたので、「差し出がましいとは思いますが…」とオンライン寄せ書きのヨセッティのサービスをお伝えしてみた。
関係者が全員在宅、直接顔を合わせることは年に数回、日常的なミーティングは全部ネット越しで、という組織に関わっているので、遠隔地の人同士を繋ぐアプリケーションは色々試している。ヨセッティも実際使っているし、周囲で使っている人も多い。だからこの方もすでにご存知かもしれない、とは思った。「こんなことをお伝えしてもなぁ…」と。けれど、何か協力できることはないか、と考えたときに、最初に浮かんだのがコレだったのだ。
そうしたら
「webでの色紙サービスについて教えていただきありがとうございます。こんな便利なサービスがあるんですね。今日一番の感動です。」
とメールが来た。 自分にとってはとても些細な「こんなこと」だったけれど、誰かにとって「今日一番の感動」になった、ということを知って、こちらも気分がアガった。
研修やセミナーをやっていて、特に練ったことでなくても、講義中に発した何気ない言葉が受講した方に刻まれることがある。受講後のアンケートなどで、「あの言葉がとても響きました」なんて書いてあるのを見て、「そこかぁ~」と気づかされることも多い。
発する言葉すべてを、誰かの感動にすることを狙っているわけではない。
けれど、誰かにとって意味を持つことを発し続けていきたい、とは思う。
今週、来週と仕事上大きな集いが2つある。そこに集う人たちにとって、自分が発することのできる意味のあることとはなんだろう。そんな視点を持つと、大変な資料の準備も、少し変わったものになるような気がする―。