気配りのすすめ
先日、とあるビュッフェスタイルのレストランに夫と食事を
しに行った時のこと。
隣のテーブルに、若い夫婦 + 小さな子供、という3人組が
やってきた。
料理を取りに行く際、父親が小さな子供を抱いて行った。
靴を履かせたままで。
料理を取るためには、料理が並んでいるテーブルの周りをぐるっと
歩いていくことになる。とすると、父親に抱かれた子供の靴が、
ちょうどそのテーブルの高さよりちょい高い位置にくるのだ。
つまり食べ物の上を、子供の靴がブラブラすることになるわけだ。
こちらもまだ食事を始めたばかりだったし、子供の靴がブラブラした
あとの料理を食するのはイヤだったので、店の人に注意してもらった。
注意された若夫婦は、「あ、すみませーん」と言って、その後は
子供を料理の並んだテーブルに連れて行くことはなくなったが…。
なんでこんなこと、言われなければ気づかないのだろう。
スーパーの食料品売り場でも同じような光景を見かける。
母親がカートを引き、父親が子供を抱いて後ろから着いていく。
子供は靴を履いたまま。食材の上で靴がブラブラ。
最近のスーパーには子供2人位なら乗れるような大きなカートが
あるけど、そのカートに靴を履いたままの子供を乗せている人も
よく見かける。あれも、最初に見たときは驚きだった。
― 口に入るものを載せるカートに、土足?!
そしていつしか「お子様を乗せないでください」みたいな注意書き
がカートに書かれるようになった。
こんなこと、いちいち注意しなきゃいけないことなのか。
自分以外の人がいる場所で、自分以外の人に対して気を配ることは
ルールとかマナーとか常識とか以前の話ではないかと思うのだが。
そのうち「気配り」なんて言葉は死語になっちゃうのではなかろーか。
同感です
レストランやホテル、空港など公共の場(大人中心の)でよ~く見かけます。
子どもだから・・・という免罪符が通用しちゃうんですよね。
自分たちのことしか考えられない人が確実に増えていると思います。
どーしたもんでしょうね
きょん様
コメントありがとうございます。
どーしたもんでしょうねえ、これ。
彼らにとっては、気配り・目配り・心配りなんてことは
「されるとウザイ」ことになっていて、だから
「自分がされてイヤなことは人にもしない」のだとしたら
なんかイヤ~な世の中ですね。
不信感を抱きます。
誰にでも、簡単なことだけど
気づかないこと、あると思います。
そして誰でも、やりなおして
成長することができると思います。
確かに彼らのやっていることは
適切ではなかったかもしれません。
不適切だと思ったら、
周囲の人が教えてあげれば
いいだけのことだと思います。
(今回は、指摘されたようですが)
人に迷惑をかけずに
生きていける人はいません。
失敗を犯したり、
それを誰かに教えてもらったり。
そうやって、皆助け合いながら、
成長し、生きているんだと思います。
大事なのは、ブログで若夫婦を
批判することではなく、
その状態をどうやって改善できるか。
だと思います。
以前から時々拝見してますが、
どうも、綿貫さんは、
行為と人格をひと混ぜにした
お話の仕方をされると感じます。
>なんでこんなこと、言われなければ気づかないのだろう。
>2歳未満児に与えておいて
>挙句製造者を訴える、とは、どういう精神構造をしているのか?
(マンナンライフは悪くない、より)
仮にもコーチングを業としている方が、
行為と人格をごっちゃにして
お話されていることに、
大変不信感を抱きます。