「伝わったこと」が「伝えたこと」

先週、兵庫県知事の「関東大震災はチャンス」という発言が
問題になりました。被災地である兵庫県知事の発言として、
これはいかがなものか?という点については多くの方が散々
おっしゃってますが、私にとってはこの発言と同じくらい驚いた
発言があったのでそれについて感じたことを述べてみようと
思います。

釈明会見の席で、彼は「東京一極集中の物理的な危険性が高い
ことを指摘したかった。第二首都、防災都市として関西で準備する
必要がある、という意図で述べたもの」と、この「チャンス発言」を
説明しています。

果たしてこの意図を伝えるために、「関東大震災は関西にとって
チャンス」という発言をする必要があったのか?
― これが驚きその1。

「被災者の方を傷つけたことになりますか? 何で謝らなきゃ
いけないんですか?」 この発言が驚きその2。
ここまで空気の読めない人が県知事ですか?

そして驚きその3にして最大の驚きは、
「受け取る方が…って言ったって、言った本人がこういう意図だ、
って言ってるんだから…」
この方が常日頃から「相手にどう受け取られるか」をちっとも気にして
いない方だということが垣間見える発言です。

県政を司る人として、自分が発言したことが、相手にどう受け取られる
かを全く意識していない、って、ありえない!!!

「伝わったこと」が「伝えたこと」
自分がどんな意思あるいは意図を持っていたとして、それを伝えた
つもりに なっていても受け取った相手がその意図通りに受け取ら
なかった場合、自分の 意図を正しく「伝えた」ことにはなりません。
「伝わったこと」が「伝えたこと」 になるんです。

会社でも、こういうことってよくあります。
自分は「こういうつもり」で「○○○○○」と言った。
相手は「こういうことだな」と「△△△△△」という意味で受け取った。
時間が経ち、「あれどうなった?」と聞くと、相手は「あれはこうしました」
と答える。「えーっ!違う違う、あの時こう言ったじゃん!!!」

自分の言った言葉が、相手にどう伝わっているか、確認するのを
面倒臭がらない。 自分の当たり前と、相手の当たり前が、一致する
とは限らないことを肝に銘じる。 上司の立場であっても部下の立場で
あっても、必要なスタンスだ、と私は思います。

最初は「言葉遣いが適切でなかったとしたら、反省しなければならない」
とは 述べたものの発言そのものは撤回していなかった兵庫県知事も、
ここにきて 発言を撤回した模様。

撤回するくらいなら、はじめから言わなきゃいいのにね。

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