夢見る頃を過ぎても 7 「生きてるだけで儲けもの」

あれから4年―。

つい1週間前には、何度も何度も聞いた言葉が、テレビから一切流れてこなくなった。
時間とはこうやって流れていくものなのか。
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1995年 1月17日。当時私はロンドンで生活していたのだが、たまたまこのとき友人の結婚式があって、日本に帰ってきていた。式は1月15日に滞りなく終った。迎えた17日の朝。テレビに映し出された、高速道路が崩れていく画や、煙や火が立ち昇っている映像に愕然とした。阪神淡路大震災―。ロンドンでとてもお世話になっていた方は神戸出身だった。
恐らくロンドンにもニュースは届いているだろうが、神戸の実家には、電話は通じないのではないか…。そう思った私は、東京からロンドンのその方に電話をした。様子を聞くと、やはり神戸の実家には全く電話が繋がらないと言う。ニュースでも、日本の大地震の様子は流れるが、今ほどネットが普及していた時代でもなく、日本の様子をロンドンでリアルに知ることが出来るほどではなかった。私は東京の実家でテレビを見ながら、映像で流れる神戸の様子や、地域ごとの被害の大きさなどを彼女に伝えた。ロンドンに居て神戸の様子を全く知ることが出来なかった彼女には、あとになってとても感謝された。

2004年10月23日。新潟県中越地震が発生した。物流がある程度復活してからは、被災地に多くのボランティアが出向き、多くの古着が送られていた。
当時所属していた企業のグループ会社に小千谷市出身の女性がいた。地震の後しばらくして、その彼女が周囲に送ったメールにはこう綴られていた。「ボランティアの方に来てもらうのはとてもありがたいし、古着を送っていただくことに感謝もしている。でも今必要なのは、古着ではなく、以下のものです。」このあと、具体的にその時必要だったアイテムがいくつか並んでいた。詳細は忘れたが、中に「生理用ナプキン」と書いてあったのは強烈に覚えている。被災地に送るものとして、古着はすぐに思い浮かぶ。だが生理用ナプキンが足りない、という現実に、彼女のメールを見るまで全く思い至らなかった。だから、このことを強烈に覚えているのだろうと思う。

2011年3月11日。この日は金曜日で、都内のオフィスビルの20階にいた。突然の揺れ。キャスター付のオフィス家具がゴロゴロ動き、デスク下にあるキャビネットの引き出しが全部開く。あんな大きな揺れを経験したのは初めてだった。ほどなく、最寄り駅の電車が止まったことがビルの館内放送で流れる。夫に電話するも、全く繋がらない。都内の電車が全面的に止まってしまったため、自宅には帰れない。歩いて帰宅するには遠すぎる。都心の実家に1人で暮らしている母にようやく電話が通じ、この日は泊めてもらうことにした。夫ともなんとか連絡が取れて、母の家で落ち合うことを確認しあった。都内のオフィスビルから母の家まで、歩き続けて3時間ほど。途中のコンビニで、夫と自分の下着を買ったことを覚えている。
翌日、電車が動くようになって、帰宅した自宅で繰り広がっていた光景。食器棚が倒れていた。中の食器が飛び出し、ウエッジウッドもマイセンもリーデルもみーんな割れていた。ロンドンに居た頃に、少しずつ買い足していったお気に入りの食器。それらがほとんど全て、粉々になってしまった。一財産なくした、といっても大袈裟ではないだろう。
コピー地震被害 003

でも…。津波によって流されていく車、アメリカの「トモダチ作戦」の様子、被害の大きさ、フクイチの事故―。これらが明らかになるにつけ、食器が割れてしまったことなど小さいことだと感じるようになった。そう、これらの地震を生き抜いてきた人たちは言う。「生きているだけで儲けもの。」

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