千羽鶴は必要か?
ハイチの被災者に千羽鶴を送ろうとしている方々がいるらしい。
それに対して、「やめとけ!」と言っている方々もいるとのこと。
被災者を「励ましてあげたい」という気持ちを持つことは、大変
素晴らしいことだと思う。その気持ちを否定するつもりはない。
けれど、今のハイチは、明日どころか今日食べるものの確保さえ
難しいことになっていて、配給物を奪い合うような状況であり、
さらに人身売買目的で、親とはぐれてしまった子供が奪われる
ようなことまで起きている状況だ。
そんな状況下にいる被災者が千羽鶴を必要としているとは
到底思えない。
この話で、新潟中越沖地震のときのことを思い出した。
当時、被災者のためにと若者が続々と「ボランティア」と称して
山古志入りしていた。そんな時、知り合いの山古志出身の女性
からのメールには、
・山古志のことを心配して下さっていることには本当に感謝している
・でも、今現地で必要とされているのはボランティアとして新潟に
来ていただくことではない
・今現地で足りていないのは、下着や生理用ナプキンなどの生活雑貨
及び○○や△△など…(と、現地で必要とされているものが列挙)
のようなことが、もっと柔らかく丁寧な言葉で綴られていた。
相手が今、本当に必要としているものは何なのか…?
ここに思いを馳せることができず、ただ送りたいものを送る、
というのは、「親切の押し売り」「自己満足」でしかない。
今、ハイチの人々が必要としているのは、千羽鶴ではないはずだ。